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「東三河産業功労者傳」より抜粋 |
「1906年(明治39年)神奈川県川崎町の鳥養彦次郎が、ロンドンの取引先よりイタリア産の十三打ち麻真田の見本を得たので、これを日本製紐株式会社に製織を依頼し、また自ら品川町の渡邊清松に嘱して編織機械を試作せしめ、それによって製出したのに創まる」 と、記されている。 また「川崎 幸区史」では、 「1903年(明治36年)に御幸村鳥養彦次郎がロンドンの麻真田の見本から、麻真田を製造する」 「1908年(明治41年)上滝七五郎が製織機械を買い入れ麻真田製織を研究」 とも記されています。 麻真田をはじめ、真田(ブレード)には長い歴史があります。 |
輸出品としての麻真田・麦稈真田 |
ヨーロッパの香り豊かな帽子と共に、夏帽子の原料である麻真田がイギリスから日本に輸入されたのは今から百年前の事です。 1903年(明治36)イタリアで製作された十三打ち麻真田が、ロンドンから日本へ輸入されてから、新しい産業として、明治45年には日本からアメリカに輸出されるまでに大きく成長しました。 外国婦人帽子の原材料として、日本の基幹産業に育っていき、大正時代に大きな花を咲かせるに至ります。 近代日本が西洋諸外国の仲間入りを果たす役割の一つとして、新しい産業の育成にあります。帽子産業の盛んな国イギリスから持ち帰られた麻真田が有望な商品であり、これを自分達で製作しようという人々の熱い思いがありました。 真田製造業は第二次世界大戦後の日本の産業の一つの柱でした。様々な工夫がなされ夏の帽子は真田が90%を占めていました。真田に使用される素材開発も盛んでした。 |